4時50分起床。

 妻と娘を起こさないように洗濯物を取り込み、身支度を整える。

 朝食は蜂蜜入り豆乳ヨーグルト。

 5時半過ぎに家を出る。今日は日帰りで京都・奈良へ遊びに行く。当初はこの3連休に妻と娘が仙台の友人のところへ遊びに行く予定になっており、それに合わせてこの旅を企画したのだが、諸事情により仙台旅行が1週間後ろ倒しになってしまった。じゃあこの旅も延期すればいいじゃん…という指摘には聞こえないふりをする。

 6時前に新幹線ホームへ上がる。左は定期列車で新横浜始発のひかり533号。これが一番列車である。右は臨時列車でこちらも新横浜始発ののぞみ497号。普段はひかり533号に乗るのが京都までの最速行程(8:00着)であるが、今日はのぞみ497号が最速(7:52着)である。

 新横浜始発ののぞみ号は珍しい。というか、これが唯一だと思う。鉄道オタクなので、ついつい列車番号表示を見に行ってしまう。のぞみ497号は千の位に臨時列車を示す9が付いて「9497」になる。

 もちろん今日はのぞみ497号に乗る。最速だし、珍しい臨時だし。

 切符を買った際にはN700Aでの運行と表示されていたが、N700Sに変更になっている。臨時かつ新横浜始発だが、車内の座席は50%近く埋まっている。

 予報どおり、今日の天気はあまり良くないと思いきや、

 関ヶ原を過ぎたあたりから晴れ間が見えてきた。ありがたい。

 京都で奈良線に乗り換える。ただし、すぐに奈良方面へ向かうわけではない。

 お隣の東福寺駅で京阪電車に乗り換え、祇園四条で下りる。

 10分ほど歩いて安井金比羅宮へ参拝する。

 縁切り神社として有名だが、本来は悪縁を切るだけでなく良縁を結んでくださる神社である。

 神様に参拝後、形代(身代わりのお札)に願い事を書く。

 書いた形代を持ち、願い事を念じながら縁切り縁結び碑の穴をくぐる。表から裏へくぐることで悪縁を断ち、裏から表へくぐることで良縁を結ぶ。そして、最後に形代を碑に貼る。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 祇園の街を歩いて駅まで戻る。

 人生で一度でいいからお座敷遊びをしてみたいものである。

 先ほど来た経路で京都駅まで戻る。関東では全くだが、関西は至るところで万博推しが目につく。どうでもいいが、とりあえず建設業者への未払い問題は早急に解決するべきだと思う。

 京都からは近鉄線に乗る。

 乗車前に珈琲ソフトクリームで糖分補給。

 9:40発の橿原神宮前行き特急に乗る。

 この次は特急しまかぜ号か。これで大和八木まで行くという手もあったな。

 宇治川を渡る。

 木津川を渡る。

 秋の田んぼは見ているだけで明るい気持ちになる。

 大和西大寺駅の留置線に奈良観光仕様のラッピング車両が待機していた。

 定刻通り10時半過ぎに橿原神宮前に到着し、駅前からタクシーに乗る。ちょっと雨がパラついてきた。

 奈良県御所市柏原にある水平社博物館に到着。

 ここが水平社発祥の地である。

 2時間ほどかけて観覧する。館内は撮影禁止なので展示物は紹介できないが、部落解放運動の原点である全国水平社の成り立ちからこれまでの活動内容について詳しく説明されており、特に根底にある思想の部分、上から目線の環境改善や同情融和を求めることではなく、民族自決の原則に基づく人間としての尊厳を守ることを目指す運動であったことが強く印象に残った。「水平社宣言」を読んでみても、まさにそのことがよくわかる。私は大学時代に障害者運動の文脈で「当事者主権」という言葉を知ったが、フェミニズム運動の根底にもあるこの考え方が1922年の段階で既に訴えられていたことを知れたのも感慨深かった。

 他にも、「糾弾」という言葉を用いた背景や意図には唸らされたし、運動に内在した女性差別には「やっぱりここでもか」と落胆させられ、戦時中に反ファシズムから徐々に大政翼賛へ傾いていった過程には心苦しさを感じた。ただ、功罪含めて公開されているというのは博物館として信頼に足ると思う。

 一方で、そもそも被差別部落とは何なのか、穢多(えた)・非人(ひにん)とはどういった人たちのこと指し、彼らに対する差別がどのように始まったのか、ということについてはそれほど詳細には解説されていない(映像資料はわかりやすかったが)ので、来館する際にはそれらをある程度調べておいたほうがスムーズに展示内容に入れるかもしれない。正直なところ、未だに私は穢れを取り除く(清める)能力があるとされていた彼らが酷く差別されるようになっていく過程がうまく整理できていないので、いずれ諸説あるそれらの流れをきちんと勉強してみたいと思っている。

 展示の終盤で驚いたことがある。2017年に奈良県が行った「人権に関する県民意識調査」(県内在住の18歳以上男女を対象にランダムサンプリングで3,000名を抽出し、郵送・無記名で調査したもの。有効回答数は1,219件、回収率40.6%)において、「望ましいと思われる条件を備えている子どもの結婚相手が、部落出身者であった場合、あなたはどのような態度をとると思いますか」という設問に対する回答割合が、「問題にしない」(33.5%)、「親としては反対だが、子どもの意思が固ければ仕方がない」(44.2%)、「考え直すように言う」(17.7%)となっているのだ。しかも、この割合は10年前(2008年)の結果とほとんど差がない。

 奈良県という土地柄もあるだろうし、(後から調査報告書を読んでみたところ)回答者の約半数が60歳以上だったという点も大きく影響しているのだろうが、部落差別はまだまだ残っているということだろう。これは(悪い意味で)衝撃の結果だと思う。

 先月の「ウトロ平和祈念館」への訪問もそうだが、今回私がここを訪れたのは、昨今の多様性へのバックラッシュや排外主義の高まりがなぜ起きているのかを知りたい、そして自分がそのような社会でどのように生きていくべきか考えてみたいと思ったからである。もちろんそんな簡単に答えが見つかるような問いではないのだが、「インターネットの発達が」とか「SNSで情報が拡散されて」といった視点ではなく(その視点にも説得力は大いにあると思うが)、もう少し別の角度から考えてみたい。

 博物館を出て、昼食がてら街を散歩する。

 博物館の目の前には満願寺川が流れている。

 死牛馬の解体には多くの水が必要なので、被差別部落は河川の周辺に形成されることが多い。

 満願寺川は曽我川に合流する。

 川を渡ってしばらく歩いたところにある「デリカ秀」で昼食。

 ワクワクするメニューが目白押しである。

 元々はお肉屋さんのようで、焼肉も食べられるそうだ。

 お漬物が美味しい。奈良漬けではなく浅漬けである。

 店先の看板にも書かれていたとんかつ定食を頂く。

 昔ながらの赤身肉を叩いて柔らかくしたとんかつである。最初出てきた時は食べきれないのではと不安になったが、ジューシーながらも油っこさがあまりなく最後まで美味しく食べられた。また、ポテトサラダもとても美味しかった。

 腹ごしらえを済ませ、博物館から少し離れた場所にある「水平社宣言記念碑」を見に行く。全国水平社創立50周年を記念して建てられたものだそうだ。

 水平社のシンボルである荊冠旗。差別社会を表す暗黒の中に、血の色で荊冠(キリストが十字架にかけられて処刑されるときに被せられたいばらの冠)が描かれている。

 博物館へ戻る途中にある神武天皇社にお参りする。

 神武天皇は神話上の存在だと習ったのだが、合ってますよね。

 博物館の向かいにある西光寺を参拝する。全国水平社創立の主要メンバーであり、創立宣言の起草者でもある西光万吉さんの生家で、境内に万吉さんのお墓も建立されていた。

 西光寺の周辺、人権ふるさと公園の中ある「いのち 燦燦の燈」。全国水平社創立90周年と大和同志会創立100周年を記念して建立されたもので、全国水平社の創立大会が開催された3月3日には朝日に正対する位置にあるそうだ。

「『解放令』から5万日目」記念碑。1871(明治4)年8月28日に発布された「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」という法令(いわゆる「解放令」)から5万日が経過したことを記念して2008年に建立されたもので、今なお残る部落差別に対する怒りとそれらと闘う決意に満ち溢れた文章が記されている。

 全国水平社創立メンバーのひとりである阪本清俊(のちに坂本に改名)宅跡。「阪本屋」は皮革・膠業でかなり手広く商売をしていたそうだ。阪本氏に限らず、水平社運動の中心となった当事者たちの多くは、部落の中でも財を成した家の方が多かった。これは考えてみれば当然のことで、これだけの組織を運営したり運動のために全国各地を飛び回るためにはかなりの時間とお金が必要だったはずだ。

 博物館の隣には御所市人権センターがある。今日は週末なのでお休み。

 その隣、現在は駐車場になっているこの場所には、江戸時代から村の共同浴場があったそうだ。

 毎月11日は「人権を確かめあう日」。

 博物館の向かいにある「おりじん」で休憩。

 関西らしいメニューが並んでいる。 

 かき氷(すいかミルク)を頂く。歩き回った疲れが糖分で緩和されると共に、店主さんが気さくな方でお喋りが楽しかった。

 博物館前からコミュニティバスに乗る。

 目的地の近鉄御所駅まで、30分以上乗客は私だけだった。お世話になりました。

 近鉄御所駅は近鉄南大阪線の支線・御所線の終着駅である。

 タイミングよく、すぐに列車がやってきた。

 南大阪線との接続駅である尺土まで乗る。

 単線なので、途中駅で列車交換。

 駅名を見てクライマックスシリーズのことを思い出し、スマホでチェックする。この時点では3-4で負けていたが、その後8回に素晴らしい逆転劇を見せて5-4でファイターズが勝利し、ファイナルステージ進出を決めた。

 尺土で大阪阿部野橋行き急行に乗り換える。同じ車両に娘くらいの年齢の女の子がおばあちゃんに見送られて1人で乗車した。どうやら阿部野橋駅にご両親が迎えに来るようだ。乗車時間は約40分。1人で大丈夫か?とついつい気になってしまう。

 子どもの頃、祖父に連れて行ってもらった二上山が見える。沢でたくさんのカニを取ったことを今でもよく覚えている。

 阿部野橋駅に到着後、無事にご両親と合流する女の子を遠くから見守る。当初はご両親がいらっしゃらなくて不安そうにしていたが、数分待って合流できていた。そして、合流を見届けた私と同じタイミングで歩き出す方が複数名いらっしゃり、みなさん同じ尺土からの乗客であることに気が付いた。大阪は良い街である。

 地下鉄で梅田へ移動し、阪急線に乗り換えて十三へ出る。

 駅前商店街の火事現場は先月来た時から変わらない。いや、アーケード内にまで溢れ出ていた瓦礫は撤去されたか。

 こちらの路地はずっと通れないままのようである。

 水キムチとチゲの専門店「ピンナ食堂」へ。先月ここで食べた水キムチが本当に美味しかったので、今回わざわざ大阪回りで帰ることにした。

 飲み物は前回と同じくぶどうボンボン。

 水キムチのスープをそのまま使っている水キムチ冷麺とチュモッパ(おにぎり)のセットを頂く。

 美味しい。確かにあの水キムチの味である。ただ、野菜に染みている味に比べると全体的に薄いので、水キムチはそれ単独で食べたいような気もする。

 チュモッパが想像よりはるかに美味しい。おかかと昆布、たくあん(?)の混ぜご飯で作られており、本来であればあまり私の好きな組み合わせではないのだが、不思議な美味しさだった。水キムチと合わせてまた食べに来たい。

 阪急線で梅田へ戻り、JRに乗り換えて新大阪へ。

 「551蓬莱」で豚まんをと思ったのだが、とてつもない大行列だったので諦める。

 新大阪18:30発ののぞみ46号で新横浜へ戻る。

 21時前に帰宅。娘を寝室へ見送ってから、入浴して洗濯機を回す。

 今日の写真を整理しつつ、水平社博物館で買った展示図録を眺めながら今日観たものを振り返る。ちょっと強行スケジュールだったが、行って良かった。

 日付が変わる頃に就寝。