6時半起床。
朝食は蜂蜜入り豆乳ヨーグルト。
8時に家族3人で家を出る。
父の納棺式は11時からスタート。これまでの経験上、自宅から実家までは車で道が空いていれば1時間強、渋滞していても2時間あれば着いていたので、3時間前の8時に出れば絶対大丈夫…だと思っていた。
その考えは甘かった。途中、山手トンネルに入ってすぐの所で事故渋滞に巻き込まれ、6キロ進むのに1時間半も掛かった。結局、葬儀場に着いたのは出発から約4時間後の12時前。納棺式には間に合わず、用意しておいた古本を棺に入れる場に立ち会うことは出来なかった。到着後、胸から下が古本で覆われている父の姿を見た時は「さすがにこれは重いだろ」と思わず笑ってしまった。
12時から葬儀。葬儀屋さんのご厚意で愛犬のふゆも参列しており、父も大喜びだろう。
曹洞宗のお坊さんにお経を上げて頂き、娘と一緒にお焼香をする。今回、父の入院後から定期的に娘を会わせに行き、人が死ぬまでの経過を間近で見せることが出来たのは良かったと思う。納棺式も見せてあげられれば良かったが、一応祖母の時に見せているし、いずれやってくるであろう母の時にもまた見せられるだろう。
出棺前、昔私が結願した西国三十三観音巡礼の納経帳を、胸元に置かれている『罪と罰』の横に納める。私は百観音巡礼を結願しているが、秩父は愛犬のサン、坂東は祖母、そして西国を父の柩に納めたので、これで使い切ったことになる。母の分が足りないじゃないか。
出棺し、火葬場へ向かう。大阪から参列してくださった母方の親戚とはここでお別れ。私の到着がギリギリになってしまったので、ゆっくり挨拶することが叶わなかったのが残念である。遠方から、ありがとうございました。
最後のお別れをして、火葬が始まる。父のことは好きだし、尊敬もしているし、ここまで育ててもらったことへの感謝もあるが、感情が揺さぶられることはなかった。まだ感情が追い付いていないだけかもしれないが、もしかすると、亡くなる前日に病室で2人きりになり、生きている間にこれまでの感謝をしっかり伝えられたことで気持ちの整理がついているのかもしれない。
精進落としは和気あいあいというか、子どもたちが元気いっぱいで微笑ましい時間になった。その後のお骨上げも子どもたちが興味津々で、職員の方も子どもたちがわかりやすいように骨の部位を説明してくださり、貴重な学びの機会になった。父もきっと喜んでいるだろう。

父を自宅へ連れて帰るのは母と葬儀屋さんにお任せし、火葬場から直接帰途につく。帰りも湾岸線がそこそこ渋滞していたが、行きの大渋滞に比べれば大したことはなかった。
娘が夕食はラーメンがいいとのことで、トレッサ横浜に入っている「越後秘蔵麺 無尽蔵」で夕食。

娘はここの背脂入りの醤油らーめんがかなり気に入ったようである。

妻は新潟米麹味噌らーめん。

私は定番の新潟醤油チャーシュー麺を頂く。そのままでも美味しいが、すりおろしにんにくを加えると味にパンチが出て一段と美味しくなった。

ラーメンと一緒に餃子を食べたくなるのは単に習慣から来る欲求だろうか。

19時過ぎに帰宅。「サーティーワンアイスを買いたい!」という私の希望は「ダーウィン(NHKの「ダーウィンが来た!」)見たいから早く帰る」という娘の一言で却下される。
ダーウィンを見終えてから入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。
父は口数の少ない人で、しかしながら癇癪持ちで時折怒鳴ることがあったので、子どもの頃は「何を考えているかよくわからない怖い人」だと思っていた(父の名誉のために書いておくが、怒鳴るだけで手を上げたことは一度たりともない)。本好きで、仕事と古本屋巡り以外にはほとんど外出をしない人だったので、子どもの頃にどこかに連れて行ってもらったことはほとんどなく、家で煙草とウイスキーを飲みながら洋書を読んでいる姿ばかりが思い出される。
一方で、ほんのわずかな機会だったからこそ、一緒に出掛けた日のことはよく覚えている。家族旅行で大洗に行った際に父が流木の下敷きになって怪我をしたこと、東京ドームに日本ハムとロッテの試合を観に行って初回から芝草投手が3者連続四球で無死満塁のピンチを招いたこと、その試合の前に連れて行ってもらった後楽園の近くのラーメンの味、大阪の曾祖母のお通夜へ向かう前に父が学生時代によく通っていたという上六(上本町六丁目)の中華料理屋で食べた唐揚げが異様に美味しかったこと。
父と普通に会話をするようになったのは、私が大学生になってからだと思う。その頃になると、母との馴れ初めなどの昔話を聞かせてもらったり、野球(ファイターズ)の話をしたり、書庫のどこに大切な本を置いているかを教えてもらったのもこの頃だった。私が社会人になってからは、父の日のプレゼントとして毎年野球観戦に行くようになった。父は西武ドーム(現ベルーナドーム)のバックネット裏席をたいそう気に入っており、一度別の球場(千葉マリンスタジアム)へ行った時には「お父さんは西武ドームのほうが好きだな」と言われて「いや、あの席は高いんだよな…」と苦笑いしたことをよく覚えている。今シーズンで現役引退を発表した中田翔選手が同点ホームランと逆転タイムリーを放った2012年の試合は、その後何度も「あの中田は凄かった」と嬉しそうに振り返っていた。
先述のとおり家事育児には驚くほど消極的(というかほぼ無参加)だった父だが、私が大学生の頃に飼い始めた犬への溺愛ぶりは凄まじく、これには「子どもたちの世話は全然しなかったのに」と母も驚いていた。先代のサンも、今飼っているふゆも、毎日の散歩はもちろん仕事に出ている間以外の時間は全て犬と過ごしていた。入院したことで当然ながら会えなくなったが、戸田中央総合病院の緩和ケア病棟に移ってから、比較的体調が良かった亡くなる4日目に一度だけふゆと会うことが叶ったのは本当に良かったと思う。父の希望を叶えるためにベッドのまま玄関まで移動させてくださった病院スタッフの方々と、母と一緒にふゆを病院まで連れて行ってくれた義妹に心から感謝している。
父は、一般的な基準からするとそれほど良い父親ではなかったと思う。実際、娘を育てるにあたり、私は父を反面教師にしている部分が多々ある。ただ、私は父以外の父親を持ったことがないので、それが当たり前というか、そんな父との関係に居心地の良さを感じてきた。会話の有無に関わらず父と一緒に居間で過ごす時間は好きだったし、落ち込んでいる時でも父と一緒に野球を見ているだけで気持ちが軽くなった。はっきり意識したことはなかったが、私は父のことがずっと、うっすら好きだったのだと思う。
父がもう長くないことを知った時、私は「父の死に様をしっかり味わいたい」と思った(11月23日)。それは可能な限り全うできたと思う。ここ1ヵ月、そしてこれからもしばらく続くであろう「父の喪失」は、唯一無二の貴重な経験として私の中に積み重なっていくことになるだろう。
遺産なき 母が唯一のものとして 遺しゆく死を 子らは受け取れ(中城ふみ子)
お父さん、ありがとう。今頃サンが迎えに来てくれているかな。
