7時半起床。
朝食は蜂蜜入り豆乳ヨーグルト。
食後に珈琲を淹れる。淹れ方がうまくいったのか、妻が美味しいと褒めてくれる。

昨日購入したSwitch2を開ける。初期設定をして、妻と娘と3人でルールを決める。娘が自分で考えたルールが私の想定よりも厳しめで感心させられた。まあ、実際に運用してみて、厳し過ぎたとなったら見直せばいい。

さっそく「ドンキーコングバナンザ」が始まる。

昼食は、いなり寿司とポトフ。

昨日の野菜の摂取量が絶望的だったので、妻に「野菜たっぷりの料理を…」とお願いしたらこれを作ってくれた。美味しいし、野菜もたくさん摂れる。

妻と娘が公園へ出掛けたので、私は「龍が如く0」をプレイする。スイッチの登場でプレステの出番が限られることになりそうなので、こういうチャンスは大切にしないと。
妻と娘が帰宅後、今度は「マリオカートワールド」が始まる。妻主導で買ったソフトだが、最初こそ操作方法に慣れず苦労していたものの娘も楽しそうである。何より2人で対戦できるのがいい。コントローラーをもうひとつ買えば3人一緒にできると考えると、財布のひもが緩くなりそうである。
入浴を済ませてから夕食。豚の生姜焼きがメインだが、こちらもいつもより野菜多めである。ありがたし。

洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。
鶴見和子『遺言』を読む。学生時代に図書館で借りて読んだことのある一冊で、先日父の余命宣告を受けた際、この本に収録されている「姉・鶴見和子の病床日誌」を思い出してすぐに買い求めた。鶴見和子さんから「死にゆく人がどんな和歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくのかを、貴方は客観的に記録しなさい。」と言われた妹の内山章子さんが記した日誌である。
昔読んだ時は「最期まで社会学者であり続けたんだなぁ」というような感想を持った記憶があるが、今改めて読むと生々しさがあって胸にくるものがある。彼女は大腸がんの痛みや苦しさと闘いながらも「死ぬというのは面白い体験ね。」と笑い、最期は「しあわせでした。ありがとう。」と亡くなった。
父はどんな死に様を見せてくれるだろうか。私は娘にどんな死に様を見せられるだろうか。息子として、親として、見送る側として、見送られる側として、いずれの経験もしっかり味わいたい。

本書の中には鶴見和子さんのインタビューや対談、コラムなどが掲載されているのだが、イラク戦争中の2004年6月に書かれた『「反日的分子」と「非国民」』がまるで今書かれたものかのような鮮度だったことに驚かされた。
2004年4月に発生したイラク日本人人質事件においては「自己責任論」が盛んに唱えられ、人質となった3人は与党議員から「反日的分子」と呼ばれたりもした。この出来事から鶴見さんは、コロンビア大学へ留学していた1941年(太平洋戦争開戦直前)に、駐米公使からの帰国要請を断ったことで「非国民」と言われた経験を振り返っている。
戦争が近づいてくるときに、その前兆として、「非国民」、そして今では「反日的分子」ということばが役人および政治家によって使われることは、戦前も、戦中も、そして現在も変っていないことに驚く。そしてこのことばをきくと、戦争の瀬戸際の悪い予感をもつのである。
(中略)
戦争に巻き込まれたくないと思い、憲法九条を忠実に守りたいという意志を貫くためには、あえて「非国民」になる覚悟を、大切にしたいと思う。「非国民」は、その意味では名誉の称号と心に銘記したい。
昨日書かれた文章だと言われても全く違和感がない。異なる点があるとすれば、政治家やマスメディアだけでなく、SNSなどのインターネットツールが力を持っていることである。もはや政治家が大衆を扇動しているのか、大衆に扇動されているのか、よくわからない状況になっている。
いずれ「戦争反対」と言っただけで「非国民」と呼ばれる時代が来るのだろうか。いや、もう既に来ているのかもしれない。
日付が変わる頃に就寝。
