6時起床。めちゃくちゃ眠い。

 朝食は無調整豆乳とトマトジュース。

 7時過ぎに家を出る。今日から法事(祖母の三回忌)を兼ねた石巻・女川旅行である。妻と娘は昨日から先に仙台入りしている。

 東京7:56発のはやぶさ103号で仙台へ。

 貯まりに貯まっているJREポイントでグリーン車に乗る。

 車内販売の珈琲を飲む。しかし、1杯分のカフェインくらいでは全然眠い。

 仙台駅で妻と娘と合流。昨晩からお世話になった妻の友人と旦那さんが見送ってくださった。昨晩はちらし寿司をご馳走になったそうである。ありがとうございました。

 レンタカーを借り、石巻へ向かう。

 途中、道の駅東松島で休憩。

 近くにある航空自衛隊松島基地にブルーインパルスが配備されており、ここから訓練や展示飛行の様子が見られるそうだ。

 実物のブルーインパルスも展示されている。新幹線の特に500系にも感じることだが、機能性を追求した結果として生み出された美しさはたまらない。

 VRによるブルーインパルス搭乗体験コーナーもあり、妻と娘が挑戦(私はVRでも高いところは怖い)。

 娘はこれがとても楽しかったようで、ビギナーコース(基本コース)のあとにチャレンジコース(急旋回や回転などが多めのアクロバットコース)も体験し、特大のリアクションを繰り返していた。

 物産コーナーで地元・松島産の苺などを購入してから出発。

 石巻到着後、「鮨一八」で昼食。大将や女将さん、娘さん(?)も皆さんとてもお優しく、娘におかしのプレゼントをしてくださったりもした。ありがとうございます。

 妻と私は地物中心のおまかせ寿司、娘は鉄火丼を頂く。鉄火丼のまぐろが目を見張る美味しさである。そして、地元産のものを仕入れているという海苔も美味しい。

 おまかせ寿司も圧巻。大将の腕の良さはもちろん、石巻のお寿司は本当にレベルが高い。さすがは世界三大漁場(金華山沖)を抱える町である。

 市街地から30分ほど車を走らせ、石巻市の震災遺構に指定されている旧・大川小学校を訪問。

 2年前に1人で訪れた際、いつか必ず娘を連れて来ようと思った場所である。

 前回来た時に学んだ内容を嚙み砕き、娘に説明をしながら回る。

 津波の恐ろしさを学んで欲しい反面、8歳にはインパクトが強すぎるのではないかという心配もあったのだが、それは杞憂だったようだ。娘は無邪気に走り回ったりしながらも、解説パネルをひとつずつ読み、施設の様子を観察し、私の話を聞いたり感想を言ったりしながら回っていた。

 どこまで具体的にイメージが出来ているのかはわからないが、彼女なりに感じるところはきちんとあったようである。

 妻は目に涙を浮かべながらゆっくり回っている。私も、少しでも気を抜くと感情が溢れそうになってくる。

 津波の恐ろしさもそうだし、ここでたくさんの子どもたちが亡くなったという事実、そして愛する子どもを失った親御さんが同じくたくさんいるという現実に胸が痛い。

 津波の恐ろしさ、事前の災害対策計画・訓練の重要性を「学ぶ」というより「心に刻む」場所である。

 この場所を遺構として残すと決めた方々の想いと覚悟に敬意を表したい。

 娘と一緒に裏山へ上る。

 津波到達地点から振り返る。娘はここまで津波が来たという事実に驚いていた。

 海から陸を通ってきた津波と北上川から溢れてきた津波がこの場所でぶつかり、渦を巻いた。具体的に方向を指差して説明をしながら、声が震える。

 体育館やプールなど、娘の学校にもある施設の跡地を見て回る。

 それらが根こそぎ破壊されているという衝撃は娘にもしっかり伝わったようである。

 当初、娘はこれが2階の渡り廊下だとは思いもしなかったようで、気付いた瞬間はあっけにとられた表情をしていた。

 娘の学校でも避難訓練では校庭に避難するそうだ。今の学校は内陸のそれも高台にあるので津波の心配はないのだが、いつどこで被災するかはわからない。地震が起きた際に落下物の心配のない広い場所へ避難するのは正解だが、そこで思考停止するのではなく、その次に何が起こるかを想像できるようになって欲しい。

 大川震災伝承館へ。

 大川小学校の被災の経緯と、そこから私たちが学ぶべきことが詳しく解説されている。

 津波の到来は地震発生から約50分後。

 その間の経緯が詳細に記されている。

 当時、この場所は津波危険地域に指定されていなかったため、きちんとした避難計画が策定されていなかった。

 私たちはこの事故から「自然が想定を超えてくることがある」ということを学び、後世へ伝えていかなければならない。

 大切なのは事前に災害時の対応について計画を整備しておくこと、そしていざという時に行動できるよう訓練を積み重ねておくことだろう。

 ご遺族や関係者がどのような気持ちでこの学校を遺すと決めたのか、皆さんそれぞれに様々な想いがあった。

 パソコンでは、立ち入りが出来ない校舎内部の状況なども見ることができる。

 事故報告書や裁判の判決文なども閲覧できる。読んでいて苦しくなるが、だからこそこうして多くの人の目に触れることが大切なのだろう。

 ご遺族から提供された亡くなったお子さん(鈴木巴那さん)のランドセルが展示されている。避難時に校舎2階の教室に置いていったもので、津波で教科書がしわしわになっている。ランドセルが綺麗に見えるのは、おばあさんが「いつか巴那さんが帰って来るかもしれないから」と磨いていたからだそうだ。

 音読カードが3月10日で終わっている。娘も同じようなものを使っているので、心にくるものがある。何気ない日常が続くことは当たり前ではない。

 最後に献花台で手を合わせる。同じく横で手を合わせる娘の様子を見ながら、連れて来て良かったと思う。

 車に戻る前に、北上川を見に行く。

 この川を津波が遡上し、この橋に瓦礫が滞留して壁となり、跳ね返された津波が大川小学校へ流れ込んだ。今の景色から想像することは難しいが、事実である。

 市街地へ戻り、石巻南浜津波復興祈念公園の中にある「みやぎ東日本大震災津波伝承館」を訪問。

 映像資料を観たあと、ボランティアさんの展示案内に参加する。

 娘が参加しているのに気付いたボランティアさんが、子ども向けの言葉を選びながら解説してくださった。ご配慮を頂き、ありがとうございました。

 実際の津波の映像が流れたりもするので怖いかなと心配していたが、正しい形で怖がることが出来ていたように思う。また、復興に取り組む方々のインタビューも数多く見ており、このあと訪れる女川の街の話も出てきていた。

 大川小学校でもそうだったが、ここでも娘は最後にアンケートを熱心に記入していた。

 「一丁目の丘」にのぼり、公園全体を見渡す。

 先ほどの展示でかつてここが街だったことを知った娘は、本当に何もなくなっていることに驚いていた。

 今回の旅行の主目的は、震災遺構を通じて娘に災害の恐ろしさと対策の重要性について考える機会を持って欲しいということである。まだ8歳なのでどこまで伝わっているか、いつまで心に残っているかはわからないが、少しでも感じるところがあってくれると嬉しい。

 石巻駅の近くにある居酒屋「さかな処三吉」で夕食。

 「石巻で二番目に安い 二番目にうまい」がキャッチコピーのお店だが、確かに安い。

 店内はすぐに満席になった。そのほとんどが予約客のようである。妻が事前に電話を入れておいてくれたおかげで助かった。

 お通しが美味しい。

 船盛りのお刺身でこのお店が当たりであることを確信する。しかも、これで2,000円という安さである。キャッチコピーに偽りなし。

 野菜サラダは妻が注文して食べていたが、娘と私は魚に夢中で食べたかどうか記憶が定かでない。

 北海道以外で美味しいツブ刺が食べられるとは。

 赤ナマコ酢。生姜がきいていて良くも悪くもクセが全くない。

 石巻産メヒカリの唐揚げ。身がふわふわホクホクである。

 どんこのたたきの肝和え。優しい濃厚さである。日本酒に合うのだろう。

 本日のおすすめのホヤ刺。これはちゃんとクセがある。妻は苦手らしい。

 串焼き5種盛。これも美味しくて、後から砂肝とハツをおかわりした。

 〆は筋子おにぎり。特大サイズでお腹いっぱいである。

 女川へ移動し、「ホテル・エルファロ 女川トレーラービレッジ」へチェックイン。

 東日本大震災で被災した女川の旅館4社が協同組合を立ち上げ、トレーラーハウスを集めて始めたホテルである。現在は株式会社化されているそうだが、立ち上げ当時は協同組合組織による復興の事例としてよく紹介されており、いつか泊まりに来たいと思っていた。

 何を血迷ったのか、室内の写真を撮るのを忘れてしまった。

 HPから拝借した写真。ロフト付きの部屋で、3人で泊まるには収納や水回りも含めて少し手狭だが、居心地は悪くない。娘はまたここに泊まりたいと言っている。

 部屋に荷物を置いてから、隣接する女川駅の2階にある温泉施設「ゆぽっぽ」へ。湯船はそれほど広くないが、整備が行き届いて綺麗だし、泉質も良くて心地よい。

 私は震災前の2010年春に女川を訪れたことがあり、先代(被災前)の「ゆぽっぽ」でも入浴している。施設も周辺の景色も当時とは全く異なるが、この温泉のほのかな塩味はとても懐かしく感じられた。

 休憩スペースで妻と娘を待つ。フルーツ牛乳を飲むのはいつ以来だろう。

 ファンタはボイコット中だが、瓶を見つけてしまったので今日だけは致し方ない。

 震災直後も壁新聞として情報発信を続けた石巻日日新聞(3月14日号)の原本が展示されている。報道機関の矜持がひしひしと伝わってくる。

 トレーラーハウスへ戻り、21時過ぎに就寝。日中に東松島で買った苺を食べることすら忘れて爆睡した。